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1−2.小説とは何か

[2014.6.28]改稿・余談を追加


1.小説とは何か

 ここでは小説とは何か、どういう構造のものなのかを解説していく。

 小説は文章によって表現するジャンルの中では新顔で、エッセイやレポート、伝記、神話、史書、詩などとは「異なるもの」として生まれた。つまり、既存のカテゴリに収まらないものを「小説」と名付けたわけである。そのため小説は、他の形態に比べて自由に形式、内容を選び、書くことが出来き、実際、そのように発展してきた。
 その大まかな概念としては、散文(音韻などに制限されない、自由な文)で書かれた、虚構を表現する作品のことを指す。つまり、エッセイやレポートのように事実を記するものではなく、神話のように国や文化によって作られた虚構でもなく、詩のように韻文で書かれていないものを「小説」と呼ぶわけである。
 ただし、小説の中には、この概念をあえて打ち破ろうとするものもあり、エッセイと見間違えるような小説、伝記としか読めないような小説、韻文に近い小説など、形式についてはかなり自由奔放に作られている。

 その中で共通しているのは、小説が「虚構」を描くものである、という点である。どれだけ既存の概念を打ち破ろうと斬新な試みをしている小説でも、この点に関してのみは守られている。限りなくリアリティを追求することで、現実にあった出来事にしか思えないような作品を書いたとしても、現実の出来事を基にして、それを限りなく忠実に書いたとしても、それが「小説」である以上はフィクションなのである。

[余談]
 これがどこまで本当かは確認が取れていないのだが、一説によると西欧における「小説」とは、書簡体から始まったとされている。つまり、偽手紙を作って回し読みするなりしたところから始まったらしい。
 本来手紙は個人的なものなので、自分宛ではない手紙を読む機会はほとんどない。勝手に他者の手紙を読むのは犯罪行為である。しかし、人は他人のプライバシーを知りたがるものなので、そういう秘密の手紙は読んでみたい。そこで、架空の手紙を作って読んで楽しもうとしたのが、小説の始まり……なのではないか、と私は考えている。実際そうなのかはわからないが。
 架空の人物の架空の手紙を勝手に作って読んでおけば誰にも迷惑がかからないわけで、欲望のガス抜きとしてはなかなかいいアイデアのような気がする。また、他人のフライバシーを知りたい欲望が小説の面白さの原点なのだと考えるのは、小説をどう書けば面白くなるのかを考える上ではなかなかいいヒントになるようにも思う。

2.小説の構造

 小説は、文字が書かれていて、それを読むことでなんらかのお話を理解できるようになっている。これが小説の基本構造である。書かれた文字のことを「叙述」といい、お話のことを「虚構」と呼ぶ。つまり「小説を読む」とは、読者が「叙述」というフィルターを通して「虚構」を読みとる行為なのである。

図1

 一見、確認するまでもなく当たり前な話ではあるが、これには重要な意味が含まれている。
 私達が普段小説を読むとき、たいがいの人は「虚構」を重点に読んでいる。つまり「どんな小説だった?」と聞かれて説明するとき「こういう話だった」と、書かれた内容を要約して説明することで小説を解説したと思っている。つまり、叙述の存在を忘れてしまいがちなのである。
 しかし、読者が虚構を読み取り、理解するためには、まず文章を読まなければならない。そして、その文章の出来の善し悪しや文章の解釈の仕方によって、受け取った虚構に対する印象や、理解の仕方も変化しているのである。

 単に読むだけの場合、叙述のことを考えなくても問題はないのだが、小説を書く側にとって重要なのは、むしろ叙述の方となる。「どんな話を書くか」ということは、もちろん軽視できるわけではないが、小説を書くという行為は最初から最後まで「どうやってそれを書くか」を試行錯誤するもので、その認識を欠いて書くことはできない。
 面白い話作りにばかり気を取られて、「どうやってそれを書くか」という意識をまるで持たないで筆を進めてしまうと、結果として「話そのものは面白いけど、小説としては面白くない」小説が完成してしまう。

 また、小説の技術というのは、読者→叙述→虚構という、小説における伝達順序と時間差を意識的に利用した部分に現れる。具体的には本レポートの3で解説しているので、参照のこと。


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