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コラム「視点がブレてお困りの方に(人称について補講)」

[2010.1.3]初稿


 3−1.「人称について」において、教科書的な人称に関する解説を行ったが、ここではもう少し実践的に、「実際小説を書く際に人称についてどう考えればいいのか」について補足する。

 一人称小説の場合はあまり起きないが、三人称小説を書くとしばしば起きるのが、「視点がブレる」という現象。これは、語り手が一体どういう「キャラクター」なのかをしっかり考えていないために起きる。
 語り手は物語の中に登場するわけではないが、小説全体をリードする重要な役割を担っている。司会、議事長などを思い浮かべてもらうとわかり易いだろう。もしくは実況中継のレポーター。司会がグダグダだと、他の要素がどれだけ良くても台無しであるように、語り手がダメな小説は、その時点でダメ小説である。
 司会は、基本的には公正中立を保って進行役に徹することが多いが、自ら主張しまくり、他の誰よりも自己主張する司会もいる。また、公正中立のフリをして、実際は偏った進行を行う司会もいる。特定の人物にだけ批判的だったり、喋らせなかったり。
 小説の語り手も同じように考えればいい。「誰(どんな語り手)」が「どのように」小説を進行するのかを決めて書く必要がある、ということである。

 ちなみに、この考えを応用すると、語り手が必ずしも一人である必要が無い、ということもわかるだろう。カーレースの中継を例に取ると、実況役、解説役、ピットリポーターと、複数の「語り手」が存在し、それぞれ場面に応じて「地の文」をリードし合っている。また、長時間に渡る番組の場合は、途中で実況役が交代することもある。
 実況に足りない専門的な知識を解説が補い、現場でしかわからない情報は現地リポートが伝える。同じように、小説の語り手(視点)も、一人だと不足を感じる場合が往々にしてある。そういう場合は複数の語り手を用意することも視野に入れた方が、より自由に組み立てやすくなるだろう。
 ただしその場合は、「今、どの語り手がリードしているか」を読者に分かるようにする必要がある。一番簡単なのは、章で区切る方法。


[註 2010.4.18]
 現在の3−1.「人称(視点)について」は、本コラムで取り上げた事項をさらに煮詰めて改稿している。


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